二十年後、友人が認知症になったら。。。。。
二十数年後、友人が認知症になったら・・・
こんな不幸な病気になってかわいそうだと思わないのだろうか。少しでも元気づけてあげよう、家族を応援してあげようという気持ちは出てこないのだろうか。
うちのおばあちゃん達は決して友人の少ない人ではなかった。が、どちらも要介護5になるまでずっと何度も面会に来てくれた人は、それぞれたった一人だけだ。
認知症でも見捨てないでいてくれた人が一人でもいたことに心から感謝する。
一緒に旅行や食べ歩きに行くことができなくなったら、何十年ものつきあいは終わるのだろうか。友人というのは一緒に遊ぶだけのものということ?
もしも自分だったら絶対に友人は見捨てないと思うが、それは今だから言えることなのかもしれない。老人の気持ちは老人にしかわからないものだ。
会いに行きたくても、足腰が弱って一人では出かけられない。付き添いを頼むにも頼る人がいない。そういう理由で面会に来れないこともある。高齢者だから。
また、余生が短いのに「頭のおかしい人」に会って嫌な思いをさせられて貴重な時間をつぶしたくない、そういう思いもあるだろう。かかわりたくないという思いだ。
高齢者に残された時間は少ない。やりたいことがたくさんあるのに、わざわざ「嫌なこと」に関わりあうことはない。ガマンして認知症の友人とつきあう気にならない。
そしてもう一つ、上の二つの条件をクリアしても残る理由がある。会いたくない理由として、「おそらく相手が会いたくないと思っているから遠慮する」というものだ。
もしも自分が認知症になったら「こんな姿を友人に見られたくない」から、友人もきっとそうだろう、それなら会いに行かないのが思いやりだと、そう考えているようだ。
そういう思いやりは何の意味もない。遠慮せず会いに来てほしかったと思う。