認知症の人の「自分」「自我」は。。。。。
自分というもの、自我、心、魂のありかはどこかというと・・・
脳の特定部分にあるのではないらしい。心というものは脳細胞のネットワークで形成されると考えられているようだ。今の脳科学ではそこまでだ。
いくつもの脳神経細胞が連携して、情報伝達を行うネットワーク上に「自分」がある。
そのネットワーク上で、昨日から今日へ、今日から明日へと記憶した情報が伝わることにより、物心ついた時から今現在までの連続した記憶のある「自分」がいる。
記憶障害によって、その連続が途切れた場合は大変混乱する。認知症の人は常にその混乱の中にいて、自分が自分でないような感覚があるかもしれない。
情報伝達のネットワークと、情報の記憶、記憶した情報の呼び出しという機能、そして過去から現在までに記憶された大量の情報とで「自分」が成り立っている。
宗教や伝統的な死生観では、魂は不滅だ。身体が消えても残る、何か特別な存在だと考えられている。科学知識を持つ現代人でも何割かはそう思っている。
が、電子情報のかたまりだとすると壊れもするし、部分的に消えたり、全面的に消滅したりするのは当然のことだ。身体よりも先に消えてしまうこともあるはずだ。
認知症の人は毎日のように脳細胞が自滅している。それを思うといつか心(自我、魂、精神)まで消えてしまうのではないかという気がしてならない。
自滅する部分が広がると、脳のネットワークにも不具合が生じる。人格破壊が起こり、全く別人のようになるのも、そういうことからだ。
小さい自滅ですんでいたら、脳の可塑性(別の脳細胞が失われた機能を代行すること)によって修復可能だろう。「隠れ脳梗塞」などの場合はそうだ。自然修復。
それが追いつかないほどの大きな自滅があるとか、多発性脳梗塞のように小さくても自滅部分が多いとかになると、どうだろう。
うちのおばあちゃんを見ていると、もう何年も前から「心は半分どこかに行ってる」ようであり、ほとんどこの世界にはいないようでもある。
ぬけがらを見ているようで、生きていると言えるのだろうかと疑問に思う時もある。脳のネットワークはどうなっているのか、まだ「自分」はあるのだろうか。
脳のことは現代科学でもわからないことが多く、まだまだ未知の分野だ。こんな状態でも「こっちの世界に戻ってくる」こともあるかもしれない。それを願うだけだ。