これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症の親に代わって選択すること。。。。。

親の代わりに選択し決定する、それが認知症の介護だ。
 
認知症になった親は、認知・記憶の機能障害にともなって、総合的な判断力までも失う。自分の今の状態を客観的に判断し、妥当な選択をすることは不可能だ。
 
そんな親に代わって、家や銀行預金・保険といった財産の管理、公共料金や医療費の支払いなどの諸々の雑事を誰かが責任を負って代行しなければならない。
 
また、日常生活に現れる全ての選択と決定がふりかかってくる。病気かどうかすら本人は訴えられないから、様子が違うようなら病院に連れて行き、入院させるなど。
 
ケアマネージャーさんと連絡をとり、介護プランを考え、デイサービスなどの施設を選ぶこともだ。それも家族の選択と決定だ。認知症の親の毎日は家族しだいだ。
 
それだけでなく、もっと個人的で重要な決定すら代わりに行うことになる。入院先の選定や、治療の方針、手術や延命治療の是非までも。
 
命にかかわる重大な決定を代行することになる。親の人生の終わり方が決まるような選択をさせられる。本人は認知症で医師の説明を少しも理解できないからだ。
 
そうはいっても、ひとの人生を「親子だから」と言って決められるだろうか。
 
「胃ろうを付けなかったら、あと一年・・」と医師に言われて悩むのはそこだ。これほど個人的な選択は、本人以外にはできない。人生の終わり方を決めるのだから。
 
認知症の親に代わって、晩年の生き方(日常生活のあり方)を決めることはできても、逝き方を決めることは難しい。どう選択しても納得がいかない気がする。
 
後悔のない生き方とは、納得できる生涯とは何だろう。やはり自分で選び、自分で決めたということが大きい。ひとに決められたことは不満が残る。
 
認知症の親の介護とは、代わりに親の晩年の全てを決定することも含まれる。親の最期のあり方までも、生き方だけでなく人生の終わり方までも。
 
終わり方については、認知症の初期に、(まだ会話が成立する時期に)本人の意思や希望を聞いておくべきだろう。内容的に聞きにくいことではあるが。
 
「年だからいつ入院するとも知れないから、念のため」とでも言って、「どこの病院でも入院する時に延命治療をどうするか聞かれる」というふうにでも。
 
何を質問しても返事がなく、言いたいことしか言わない、そういう一方通行の会話しかできなくなると遅い。早いうちに親の意思を確認したほうがいい。
 
認知症介護の最終段階、「胃ろうで寝たきり」を目前にして気が付いても遅い。