認知症の本人の気持ちを想像すると。。。。。
認知症の人の気持ちを想像できるだろうか。
「何もわかってない」「何も考えてない」ように見えるから、「つらい」とか「現状や将来を考えて悩む」とか、見るからになさそうだ。壊れた脳では考えられないのでは?
また、言いたい放題、やりたい放題で、何のガマンもしていない。すぐに怒り、怒りにまかせて暴言を吐き、暴力をふるう。脳が壊れ、自制することが難しいからだ。
「こんなことを言ったら家族が傷つく」というようなことも平気で言うし、本人自身の身があやういような危険なことでも平気でしてしまう。悩んでいるとはとても思えない。
本人が認知症だと自覚していて、脳細胞の自滅を理解しているのなら、悩むだろう。
が、多くは自分が認知症だとは知らず、脳の破壊が進行中だとも思わず、周囲のことも一切配慮しないなら、何の心配もない。たまに「何かへんだな」と思う程度で。
見ているぶんには「認知症の本人はお気楽だ」と思うのももっともだ。
ガマンをさせられているのは家族。「認知症の人の言うことを否定してはいけない」という原則から、何を言われても反発もできず、言い返すことすらできない。
「認知症の本人のつらさ」はどこにあるのか、それを想像するのは簡単ではない。
とても悩んでいるとは思えないような、言い放題やりたい放題のめちゃくちゃな行動、迷惑行為(BPSD)を起こすもとになっているものが、「本人のつらさ」らしい。
言い換えれば「不安感」、それが家族を悩ませる「BPSD」の根源、原因だ。
自分の記憶がつながっていないこと、そんなあり得ないことを「何かへんだな」と思いながらも、誰にも言えないで(言わないで、自尊心から)こっそり悩んでいるようだ。
今まで普通にできていたことが、できない。やり方がわからない。わからないことが毎日毎日増える。近所の道順もわからない。わからないはずがないのに。
そういう気持ちを素直に出してくれたら、家族だって「本人のつらさ」を共感することができるし、本人の気持ちを一番に考えて適切な対応をとることができる。
が、本人は「ボケた」と思われたくないのか、それらを隠そうとする。「わからない、できない」と正直には言わない。失敗をひたすら隠す。老人は自尊心が高いから。
デイサービスに行くのを忘れていても、「今日は体調が悪かったので」とごまかし、リモコンが使えなくてエアコンが作動しなかった時も、「エアコンが壊れている」と言う。
わからないことだらけで、一人では何一つまともにできないが、そういう自分を本人は認めていない。自覚がない。認知症だから、脳が壊れているから。
自分の状態も把握できず、「何がわからない」のかすら、わからない。何もわからないで一人でいる、その不安感はどれほどのものだろう。
言葉の通じない外国でたった一人、頼る人もいない。どこに行ったらいいのかも、今どこにいるのかもわからない。孤独と不安、そういう感じだろうか。
このたとえはよくない。こんな程度ではなく、もっと絶望的な心境かもしれない。
認知症の本人の気持ちをわかるにはどうしたらいいのだろう。