認知症の気持ちが。。。。。
認知症の気持ちが何となくわかった。
起きて、台所に水を飲みに行き、いつものように夜中じゅう稼動しているリビングのエアコンを消そうとリモコンを押した。電気代が値上がりしたから節電しないと。
が、エアコンが消えるはずなのに、オンになってしまった。消えていたようだ。
家族の誰かが消したのだろうと聞いてまわると、誰も消していないと言う。暑いのに消すわけがない、電気代を気にしている一人、自分を除けば。
うっそぉー、誰かが消したはず。おばけ?それともエアコンが壊れた?
論理的には自分以外は該当しない。だが、その記憶が一切ない。認知症の人の気持ちが少しわかったような気がする。自分は消した覚えがないのだから。
たぶん台所に行く前に寝ボケ頭でエアコンを消したのだろう、いつも習慣的にしていることだから。ただいいかげんな人間なので、行く前か帰りかは不定だ。
台所で水を飲みながら「消さないと」と思ったのは、完全に「消したこと」が記憶から消えていたからだ。認知症の人はこれが日常的に多発しているのだろう。
自分の行動の記憶がごそっとない、消えているというのは奇妙な感じだ。無意識の行動というのと似ているが、それよりも気持ちが悪い。
この気持ち悪さは「誰かが消した」ことにしてしまわないと解消しないだろう。認知症のつくり話はここから出てくるんだ、としみじみ思う。