これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症の「つくり話」の材料は。。。

一番身近で一番世話をしている人が一番に「悪者」にされる。
 
認知症の人の介護は報われない。それどころか、迷惑をかけられっぱなしで、被害は甚大だ。被害者であるにもかかわらず、認知症の本人には「犯人」扱いされる。
 
認知症の家族こそが被害者なのに、本人からは加害者と思われる。ひどい時には本人が近所や親戚の人に「架空の被害」を訴えたり、警察に電話したりもする。
 
自分の時間、労力、お金、これらを犠牲にして世話をしてこれでは割に合わない。
 
「つくり話」は脳が本能的に持つ自己防衛機能らしい。欠落した記憶、思い出せない部分を「架空の記憶」で補うためだ。意識的ではなく、無意識に自動作成される。
 
「自分」というものは過去からの連続した記憶のかたまりだ。連続していない部分が多くなると、「自己崩壊」というか、「自分がなくなる」というか、大変なことになる。
 
つくり話の材料は、本人の脳にある記憶の中からいくつか自動抽出され、状況に合わせて編集されるようだ。事実や実体験以外に過去に見たドラマの記憶なども。
 
中でも、家族やヘルパーさんなど、「身近で世話をしている人」が材料として頻繁に使われる。この人たちの記憶が鮮明で、記憶データが大量にあるからだろう。
 
たとえば「財布がなくなった」と本人が騒いでる場合だが、本人は「いつもの場所、この引き出しに入れた」と主張し、「ヘルパーさんに盗まれた」と断言する。
 
事実は本人が(盗まれないように、なくならないようにと)財布を別の場所に隠していて、すっかりそのこと(隠したこと)を忘れているので、「いつもの場所」にはない。
 
それでは辻褄が合わないので、架空の記憶が自動作成される。何日か前の「ヘルパーさんが引き出しを開けている」画像が記憶ファイルから抽出されて完成だ。
 
「これを引き出しにしまっておいて」と本人が依頼したときの記憶が使われる。
 
こういう被害妄想の他に、「何でこんな話を・・」と思うような奇想天外な「つくり話」もある。たとえば、ヘルパーさんの一人が「隠し子」だというようなドラマティックな話。
 
「あのヘルパーさんはおじいさんが浮気をして外にできた子だ」と大真面目な顔で言い出されたら、家族はどう対応していいやら悩む。あり得ないにも程がある。
 
認知症の人の言うことは否定してはいけない、というから聞き流すのだろうか。
 
「ヘルパーさんが隠し子」という設定のドラマでもあって、そういう「つくり話」が出てくるのかもしれない。しかし、何のために、どういう必然性があって?
 
「適齢期の孫娘が開業医と婚約」という「つくり話」もあったが、これなどはわかる。適齢期を過ぎたら・・という心配を解消するために作られた話だろう。
 
認知症の人は何を考えているのかわからない。普通の人には共感できない。認知症の脳が作る話も、普通の人には理解できなくて当然だろう。
 
「家族やヘルパーさんを犯人にする」ことで本人は救われているのだろうか。