これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症介護の無力感、達成感。。。

「学習的無力感」という概念があるそうだ。
 
がんばっても努力し続けても成果が得られないと、それ以上がんばろうという気力がなくなる。自信をなくし、「自分は何をやってもどうせダメだ」と意欲をなくしてしまう。
 
そういう無力感を指す。失敗が続くことで、失敗体験の学習により生じる無力感。
 
つらい状況にあって、そこから抜け出そうとしても抜け出せないようになっていると、抜け出そうという意欲を失う。自分にはその能力がないと思い、気力をなくす。
 
達成感が得られない状況では、前に進んでいく気力を保っていられないようだ。
 
一つ問題をクリアーして、一つ達成感を得る。その小さな成功体験を積み重ねていくと、自信がつき、未知の課題や大きな壁にだって挑戦しようという意欲が出る。
 
認知症の人の介護、これはほとんどの場合が達成感は得られない。よって、努力を続けていこうという気力や意欲も失われる。それでもかわってくれる人がいない。
 
成功体験を積み重ねることはなく、失敗体験だけが累々と重ねられていき、達成感のかわりに、無力感で毎日が満たされていく。それでも逃げられなくて惰性で動く。
 
「治らないから」というだけではない。「治らないなら、せめておばあちゃんが笑顔でいられるようにがんばろう」と努力する。が、笑顔すら見せてもらえない。
 
認知症にはいくつもの型があって、笑顔で明るいタイプもあれば、ウツ病のように暗く沈んでしゃべらないタイプもある。うちのおばあちゃんはどちらかというと後者だ。
 
認知症の人は日によってころころ変わる。昨日できていたことが突然今日できない。だから何も期待できない。期待すると、失望し、がっかりしてへこむだけだ。
 
成果が出ず、達成感の得られない中で、過重労働が続くと、誰だってウツになるだろう。親の世話をするのは当然だとみなされ、誰にもほめられることもなく。
 
ひとこと、「よくがんばってるね。おかげでたすかってるよ」との声があれば違う。
 
認知症の人を一人で社会に放り出したら、どれだけの混乱がおこるだろう。達成感の得られない介護労働が、社会の平穏を保っているとも言える。
 
認知症老人のお守をして、今日も一日「社会の安定」に貢献したんだ」と自分で自分を誉めてあげよう。達成感の代用になるかもしれない。