歩けない、介護拒否もなくなり、食べられない。
寝たきりの一歩手前で、おとなしくなった。
二ヶ月前までは入浴拒否や洗髪拒否があって、お風呂に入れようとすると腕に爪を立てたり、蹴りを入れたりの暴力的抵抗で悩まされていたのが、うそのようだ。
介護拒否するだけの頭がない。それだって脳が働いている証拠だった。お風呂もシャンプーも男性のヘルパーさんのようだが、嫌がることもないらしい。
まったく自力で何とかしようという意欲がなく、立ち上がるのも歩くのもヘルパーさんの腕力におまかせだから、おばさんのヘルパーさんでは支えるのも大変そうだ。
以前は女性でも強そうな力のある若い人が来てくれていたのだが、近頃は四十代五十代六十代の人ばかり。肥満体で背の高い老人を動かすのは無理な感じだ。
ただ最近は食べるのが少し困難になってきたから、食べる量が減り、やせていくだろう。「食べれなくなったら終わり」というが、終わりの始まりかもしれない。
脳梗塞の再発以降、ほとんどしゃべらない。午後から夕食の前までの数時間で、おばあちゃんがしゃべったのは「太ったな」と「耳掃除してくれる?」だけだ。
耳掃除が終わっても「ありがとう」はなし、無言。「帰るよ」と言っても、無言。
以前は顔を見るといつもこれでもかというぐらいに不平不満を訴えていたのに。三月の脳梗塞発作からあとは、マヒもなく話す能力はあるのにしゃべらなくなった。
わけのわからない妄想も、何回も繰り返して聞かされる苦労話も、今の身の上の不満も、聞きたくないことすべて聞かなくてよくなった。こんな日が来るとは。
言語中枢のあたりが壊れてきたのだろうか。それとも精神的な、心理的な何かでしゃべらなくなったのだろうか。わからないけど、不気味な程おとなしくなった。
拒否がなくなり、何もかも言いなりだ。いわゆる「おとなしくなって介護がらくになる」時期になったようだ。反抗する意欲もない。そこまで脳細胞の自滅が進んでいる。
車椅子に乗せられて食堂に行き、食事だけは今でも自力摂取できている。嚥下機能テストの結果、誤嚥の心配はないという診断が出て、今は普通食に戻っている。
ミキサー食と比べて見た目がおいしそうで食欲は出るはずだ。が、それでも食事が進まない。途中で噛むのを忘れたり、飲み込むのを忘れたりする。
介助者が側で見ていて、「ごっくんしましょう」とか、「まだ口の中に食べ物が残ってますよ」とか声をかけないと、「今、食べている」ということまで忘れてしまうようだ。
八十年もの間、毎日三食ずっと食べてきている。食べ方を忘れるなど考えられないが、認知症の行きつく先はこれだ。こうしていつかは食べられなくなるのだろう。
歩けなくなったらおしまい。この言葉の示す通りなのかもしれない。