老人のプライドがあって
これまでいくつも関門があった。
一つめは、老人マンション入居。おばあちゃんは説得に応じてくれず、入居日の前日まで拒否していた。老人は保守的で変化を嫌うし、プライドが許さなかったのだ。
まだそこまでヨボヨボではない。歩けるうちは「養老院」には行く必要がない、と。
二つめは、紙オムツ。用意してあっても、本人が嫌がる。これも老人のプライドなのか、認知症だと失禁した事実をそっくり忘れて、「まだ必要ない」と思ったのか。
トイレまで一人で歩けるから、必要ないと言えば必要はない。頭がしっかり働いている時はそうだ。そうでない時はトイレの位置すらわからなくて間に合わない。
そして、三つめは車椅子。今回は家族のほうが抵抗があった。いよいよここまで来たかという思いだ。本人はもう歩く意欲がないようで、何の文句も出ない。
車椅子で食堂まで連れて行ってもらえるほうがラクでいいと思っているようだ。「自分で歩く、車椅子は格好悪い」とは言わない。プライドはどうなったのだろう。
自分が今どんな状態なのか、どこが悪くてこんなに手足が不自由になったのか、これからどうなるのか、そんなことをちらっとでも考える時があるのだろうか。
もしあったら、きっと脳梗塞で終わりが近いと思っているのだろう。笑顔がない。