これが認知症なんだ (362) 訪問が嫌だ
<That's Ninchi Show No.362 >
ヘルパーさんに気をつかって疲れる老人がいる。
「ヘルパーさんに気をつかって疲れる」らしい。一週間に一回、トイレと浴室の掃除に来てもらっていたのだが、その前の日はまるで来客があるかのようだった。
「明日はヘルパーさんが来るから」と言って、玄関やリビングをきれいにしていた。掃除に来てもらうのに、あちこち掃除して待ち構えている、何だかおかしな話だ。
そういうわけで、ヘルパーさんの訪問回数を増やすと言ったら、おばあちゃんは猛反対した。最初の脳梗塞の発作で数週間入院して、退院後のことを考えていた時だ。
リハビリ病院にしばらく入院していたのだが、「認知症の人ばかりで嫌、早く退院したい」と言う。自分も数年後には早々とその仲間になってしまうとも知らずに。
そこで、「家に帰ったら毎日ヘルパーさんに来てもらおう」と提案したら、本人に嫌な顔をされた。「毎日来られたら気をつかって、かえって疲れるから」と言う。
ケアマネージャーさんと相談して、週に三回ということになった。残りの日はデイサービスに行くことにして、できるだけ一人になる日がないようにしてもらった。
しばらくはそれでいけたのだが、おばあちゃんは訪問介護を週二回に減らしてしまい、デイサービスも行かなくなった。「自分でできるから必要ない」と言って。
認知症がひどくなり、老人マンションに入居すると、おばあちゃんの態度は全然違った。ヘルパーさんに気をつかうことは全くないし、訪問を嫌がることも当初はない。
食堂に一人で行く自信がないというので、毎日二回から三回はヘルパーさんに来てもらうようにしたら、「毎日何回も来てくれるから安心」と言って喜んでいた。
認知症になると別人のようだ。「他人が家にいるときゅうくつ」とか「他人に世話をしてもらうのは嫌」とか、そういう遠慮や気兼ねは少しもない。どこかに消えたみたいに。
本人も自分が以前そうだったことを忘れているのだろう。「ヘルパーさんは来てくれなくていい、自分で何でもできる」と言っていたことを。これにこだわられると困る。
認知症という病気は「ひとの手をわずらわせなくても、自分でできる」という気持ちを失わせるのだろう。他人への配慮、気配りを失うのと同じく。
「できることは自分で」という方向でいかないと、どんどん能力が低下していくのに、本人は「何もかもヘルパーさんや家族におまかせ」という気持ちしかない。
「他人に頼りたくない」と、また「家族、子や孫にも迷惑をかけたくない」と言っていた人が、自立心の高かった人がこんなになる。認知症になると「自分」でなくなる。
自分が自分らしく一生を終えるためには、認知症にならないようにすることだろう。今は人生八十年九十年というが、「自分が自分でいられる時間」は短いようだ。
注: 老人マンションに入居後しばらくしてから訪問拒否がありました。
ヘルパーさんが自室に来てもドアを開けないという、訪問介護拒否です。