親が最後に教えてくれること
子は親の背中を見て育つというが、年をとったらどうだろう。
老いた親の小さくなった、背骨が曲がって丸くなった背中を見て、「老い」を知る。これら身近な実例を通して、老い方をそこから学び、そのあとは「逝き方」を学ぶ。
「老成円熟」という言葉があるように、老人は大人よりも一段上の、もっと「大人」だと思っていた。若い人のワガママな発言や行動にも泰然と、寛大で、気にかけないと。
実際はそうではなく、多くの老人は子供よりもずっとワガママで少しのこともガマンができず、「大人」の基準とはかけ離れたところにいる。「大人の行動」はできない。
また、お迎えが近い年齢になると、それなりの覚悟ができて、落ち着いてその日を過ごすことができるのだろうと思っていた。祖父母はそうだったように記憶している。
ところが、それは明治生まれの人、その世代までだったようだ。明治の人は気軽に思ったままを口に出したりはしない。認知症になれば別だが。
お迎えが近い年齢になると、不安感が増す。あの世があると信じているなら悠然としていられるが、日本人は今では無宗教に近いから、ほとんどの人が信じていない。
友人や知人が次々と逝って、自分が消滅することへの恐怖心は増大し、孤独感もつのり、精神的にとても不安定になりやすい。周囲から孤立しやすくもなる。
「死ぬのがこわい」とじたばたする。明治の人が何も言わずに静かに逝くのとは対照的に。世代が違うとここまで違う。思っていても隠していられるかどうかだ。
父の最期は病院の個室だったが、一時期「ICU」=集中治療室にいて、そこで何人もの人が夜間に亡くなるのを見ていた。不思議なことに全員が全員夜だったそうだ。
それで「眠ったら死んでしまう」と言って、ベッドに座り込むようになった。「眠らないと治らないよ」と誰もが言うが聞く耳を持たない。結局は薬で眠らされたのだが。
数週間後、本人の言ったようになった。消灯時に眠って目覚めることはなかった。
母は介護施設で逝った。「いい人生だった。最後に会えてよかった」と親戚や友人に言い残して。虚栄心の強い人だったから見栄を張っていたのかもしれない。
家族にも見栄を張っていたのか、ほんとうに恐怖心がなかったのか、若い者に言ってもムダだと思って言わなかったのか、じたばたすることはなかった。
親は最後に逝き方を教えてくれる。