これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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認知症になってよかったこと

親が認知症になってよかったこと、あるだろうか。
 
プラス思考で、何でも良い方に考えて、いいところを探して、というようにする。ネガティブになりそうな環境でも、不平不満を言わずにポジティブに生きる。
 
そうすれば認知症の介護というストレスがあっても、明るく笑って乗り越えられる。
 
そうはいっても、頭では理解できても、心情的には難しい。いいところがないから。親が認知症になってよかったことなんかない。一つも、まるっきり、まったく、全然・・。
 
どうしてもというなら、強いてあげるなら、一つだけある。「こんな老後だけは避けたい」ということだ。親が身をもって示してくれ、ありありとその哀れさがわかる。
 
その哀れな姿を見て子や孫が何を思うか、それもよくわかる。これは認知症の家族にならないとわからない。実体験を通してでないと理解できないものだ。
 
身内が認知症になったときの気持ちは、複雑で言い表しようがなく、他人には伝えにくい。言葉ではすべては伝わらない。実感でしか、本質は知りえないと思う。
 
他人事だった時の「大変ですね」のレベルではない。それどころではない。認知症の介護ストレスがどれだけのものか、実感した人以外は想像がつかないだろう。
 
だからこそ、自分はそうなりたくないと思い、自分の家族にこんな思いはさせたくないと思う。認知症の親を反面教師として、そうならないように誰もが予防するだろう。
 
親が認知症になっていない人はそうではない。認知症のことを実際よりもずっと「軽く」考えているか、「関係ない」として全く考えていないか、どちらかだ。
 
親がならなかったから自分が認知症になるとは思っていないし、「認知症になっても何とかなる、施設に行けばいい」というように「軽く」考えているものだ。
 
他人事の時は何事も軽い。遠くから見ていたときは何事もたいしたことはない。火事の現場では火の粉が降り、煙と熱で苦しいが、遠くで見れば花火と同じだ。
 
当事者にならないとその苦しみはわからない。実感して初めてわかることがある。
 
自分だけは認知症にならないと多くの人が思っている。もしかりにそうなっても、自分の家族は介護ストレスで自殺などしない、そんなに弱くないと思っている。
 
認知症の介護ストレスで病気になり、その病気のストレスも加わって精神的に追い詰められると、「弱くない人」でもどうなるかわからない。
 
親が逝くか、自殺するか、それしか今の状況から抜け出す道がないと思ったら、もう耐えられないと思ったら、誰だってそんなことも考えるだろう。
 
認知症になる前は「いつまでも長生きしてほしい」親だったが、認知症になったらそう言いきれるだろうか。長生きすればするほど、介護の重圧が増えていくのだから。
 
早く解放されたいが、親が逝くまではそれは望めない。親には長生きしてほしい。が、介護ストレスは耐えられない。そのどうしようもないジレンマがある。
 
親が認知症になってよかったことは、これがわかったことだ。認知症の晩年は哀れであり、家族にも考えられないほどの迷惑をかけ、苦労をさせてしまうということが。
 
いつまでも長生きしてほしいと誰からも思われる、そんな年寄りになりたいと思う。