これが認知症なんだ (345) 「たら、れば」はない
<That's Ninchi Show No.345 >
よく考えて決めたことに対しては「たら、れば」はない。
あとになって後悔しても意味はないから、「あの時~していたら・・」や「~すればよかった」とは思わないと決めている。
「もし胃ろうを付けていたら、今でも生きていただろうね」と、葬式の朝、葬儀屋さんが納棺に来るのを待ちながら弟(49歳)が言った。長兄(70歳)と三人だけの時に。
胃ろうの問題は何日もかけて兄や弟と相談して決めた。今さら何でこんなことを言うのかと思った。認知症発症前の本人の意志も「延命は不要」だったのだから。
納得していたはずなのに、どういう意味なのかわからない。重い病気があり、老母より先に逝くのではないかといつも言っていたから、見送れてよかったはずだ。
認知症の親がいることは大きなストレスになり、介護費用の負担も年々かさむから、早く解放されたい。しかし、解放されるにはただ一つしかない。
解放されたいということは、生きていてほしくないとなるが、親だから生きていてほしいという気持ちもある。誰もがこのジレンマに耐えていることだろう。
もし胃ろうを付けていたら、そんなことは考えないでおこう。