これが認知症なんだ (293) 答えがない
<That's Ninchi Show No.293 >
認知症の介護は、正解はない(のかもしれない)、疑問だらけだ。
専門職なら、介護職ならと、質問しても答えがないことがある。「わかりません」と言われるとどうしたらいいのか。いろいろ知っているはずと思って頼りにしていても。
認知症については、ケアマネージャーさんや医師に聞いても解決できるとは限らない。「わかりません」という言葉を何度聞いたことか。それでも決断を迫られる。
病気の性質上、選択肢とその予想される結果が多岐に渡っていて、個々の症例から一般的に(普遍的に)通用する「解」を導き出すことができない。
どんなに多くの患者を診てきても、誰にでもあてはまる「解の公式」は得られていない。すべて「場合によっては・・」「・・かもしれない」「・・かどうかわからない」になる。
たとえば「胃ろうの選択」でも、結果的に「また経口摂取できる」ようになるか、「そのまま寝たきり、会話もできなくなる」ようになるか、誰に聞いてもわからない。
「また口から食べられるようになったら、胃ろうをはずせばいいです」とケアマネージャーさんは言うが、どれだけの割合でそこまで回復したかは答えてくれない。
何の情報も与えられないで、急いで判断させられる。胃ろうか、餓死か。そうなると当然、医師や施設が勧めるままに、胃ろうを選ぶことになる。
ただ食べなくなっただけで、歩いてトイレに行き、会話もできる老人でも、寝たきりの人と同じように「胃ろう」を付けるように勧めるが、結果はどうだろう。
そのまま歩いていられる人は何割いるのだろう。「胃ろう」を付けたから寝たきりになった、そう思ってしまうこともある。そういう例についてはどう説明するのだろう。
「胃ろう」のせいではない、関係ないと言うのだろうか。脳の働きがそこまで低下してきていて、自然に寝たきりになったと。
老年医学会では、回復の見込みのない場合、本人のQOL (生活の質)を考えて、苦しみを引き伸ばしているだけとみなされる場合は、「胃ろう」の除去もできるというように、方針を変更したそうだ。
当然、そこでまた家族が悩み、決断をすることになる。しかし、はずせば「餓死」だとなると、やはり決断しにくいと思う。問題はいつまでも残る。答えはない。
(2012年9月)