これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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これが認知症なんだ (282) 家族の顔

<That's Ninchi Show  No.282 >
 
ついに、ここまで来たかと思う瞬間が何度もある。
 
認知症の進行は、はっきりとは予測できないから、いつも突然だ。そろそろかなと思っていても、同じ状態が続いていると、つい油断する。心構えを忘れていると、突然次の段階や、一段とばして次の次に来ていて、愕然とする。
 
家族の顔がわからなくなった、その時はさすがに「もう終わりか」と思ってしまう。時間、空間、ひと、の順番に記憶できなくなると聞いている。その最終段階に来たら、じきに言葉も忘れ、「あーうー」しか言えないようになるのだろうか、と。
 
実際はそうではない。驚くことも、この先を心配する必要もないし、「忘れられてしまった」と悲しむこともない。認知症以外の脳の病気があれば別だが、認知症だけなら気にしなくていい。ごく普通にみられること、よくあることだ。
 
記憶は消えてはいない。呼び出す能力がないだけで、記憶をどこまで呼び出せるかについては、日々変動があり、良い時も悪い時もあるようだ。
 
他人行儀に丁寧語を使って話されると、家族としてはショックだ。が、その一ヶ月後に面会に行ったら、まったく以前のように戻っていたことがある。家族の顔と名前は一致するし、家族の思い出も消えていない。思い出話だってできる。
 
その次に面会に行ったときは、また他人行儀になっていた。こんな風に、家族だとわかる時もあれば、わからない時もある。それを繰り返しながら、「ここはどこなのか」も「目の前にいる人は誰なのか」も、さっぱりわからない状態に至るのだろう。
 
息子を「親戚のおじさん」だと思っていたり、娘を「近所の奥さん」だと思っていたりするが、この程度なら「誰が誰だかわからない」というレベルまでにはまだ遠い。
 
誰だか具体的にはわからないけど、見たことがある顔だ、よく知っている人だ、という認識はある。全然知らない人と知っている人、この二つの区別はできている。
 
適当に話を合わせているのか、「どちらさん?」と聞かないだけましだ。まだ頭が働いている証拠だから。見たことがある人だ、顔は親戚に似ている、誰だったか忘れたけど知ってるはずだから名前を聞くのは失礼だ、と思っているのかもしれない。
 
「ひと」の判別ができなくなるのと、家族の顔がわからないのとは別だ。家族の顔は一時的にわからない、というか、誰だったか自信がない、という程度だ。まだ十分に脳は働いていて、これぐらいでは終わりにはならない。心配はない。
                                     (2012年8月)