これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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これが認知症なんだ (280) 自分史

<That's Ninchi Show  No.280 >
 
高齢者には自分史を書いておくことを勧めたらどうだろう。
 
読み書き算盤、その中でも、高齢者は「書く」ことを一番に「やらなくなる」傾向にある。日常の買い物でざっと計算はするし、新聞のテレビ欄ぐらいは読むが、書くことはたぶん日常的に少ない。
 
せいぜい、毎年送られてくる、年金の現状確認の書類を書き込んで送り返すぐらいだ。それだって、字を書くのがしんどいとか、目が悪いとか、字を忘れたとか言って、だんだんと家族に代筆してもらうようになる。
 
日記を書いてもいいが、続かないと嫌になるし、もともと書くことが好きでない人には勧めてもムダだ。書くわけがない。また、老人の日常に書くべきイベントは少ないから、書き始めても、じきに書くことがなくなる。
 
自分史は、書きたいと思っている人が割と多いようだ。書き込み式になっている市販の「自分史」があるくらいだから。特に今の高齢者は戦争を乗り越えて来た世代だから、伝えたい、残したいという思いは強い。
 
字を書くことは、手を使い、脳を使う。手軽に認知症を予防できる。費用をかけず、いつでも、誰でも、どこでもできる。
 
また、自分史があると、後日の役にも立つ。介護施設に入所するときなど、家族は相談員さんから本人の職歴や生活歴をこまごまと聞かれる。親の人生、詳しく語れるかというと、そうでもなかったりして、答えに窮することもある。
 
施設の相談員さんの質問は「生まれた場所」から始まる。子供の頃、就職、結婚、転居など、八十年、九十年の人生をポイントごとに伝える。どうしてそこまで施設が把握する必要があるのかと、最初は不思議に思うだろう。
 
認知症老人の「今」はいろんな時代の「今」だから。二十年前の「今」にいる日もあれば、五十年前の「今」にいる日もある。そんな老人と話を合わせて、円滑に世話をするには、本人の過去を知っておくことが何よりも重要になる。
 
回想療法というのもあるから、リハビリに力点を置いている施設なら、そのための資料として、本人の生活歴や職歴が必要なのかもしれない。
 
「自分史、書いてもいいけど誰が読むの?」と、叔母に言われたことがある。「孫が読むし、そのうち”ひ孫”だって読むよ」と答えたが、その一ヶ月後に叔母は動脈瘤破裂で急死した。八十歳の誕生日を目前に。自分史は書いたのか書いてないのか。
 
終戦から間もない頃、叔母の家は老人と叔母たち姉妹しかいなかったそうだ。老衰で亡くなったお婆さんの遺体を運んでくれる人もいない。姉妹ふたりでリヤカーで運び、自分達で火葬にしたと言っていた。
 
そんなことが、当時はごくあたり前にあったことだろう。この世代の人は、自分史に書くことは山ほどあると思う。
                                   (2012年8月)