これが認知症なんだ (219) アニメ
<That's Ninchi Show No.219 >
認知症が進むとテレビも楽しめない。が、アニメは違うようだ。
おばあちゃんの老健(介護老人保健施設)のリビングでは、ほぼ一日中大型テレビがつけっぱなしになっている。しかし、重度者のフロアではテレビをじっと見ている人は少ない。ほんとうに数えるほどだ。ちらっとしか見ないで、「絵」として眺めている人がほとんどのように思える。
内容が理解できないことや、記憶できないことが原因だろう。ストーリイを覚えられないから、ドラマはもちろん無理で、ニュースも一瞬の画像だけが頭に残るくらいかもしれない。部分だけで前後のつながりがないから、何のニュースだか理解できないだろう。ちらっと見てもすぐに目をそらすのは、わからないからだ。
「お相撲」は違う。多くの認知症老人がじっと楽しそうに見つめていた。一瞬の勝負だから、前後の記憶がなくてもいい。サッカーや野球とは違って。どっちかが転ぶとか、土俵の外に出るとか、勝敗が簡単明瞭ということもある。
お相撲は夕食の前だったが、たまたま朝食の時に居合わせたことがある。重度者のフロアでも少し軽いグループの食事時間だった。自力で移動できる老人ばかりのグループだ。自分で歩ける(杖や歩行器で)か、自分で車椅子を動かせる人だ。
それ以外の人とは食事時間を分けているそうだ。夜勤の職員さんだけでは自力で起き上がれない人を移動させることができないから。二人がかりの作業だ。そういう人達の朝食は七時に日勤の職員さんが出勤してからになる。
夜勤の職員さんが一人で十人ほどの朝食の準備をしていた。各部屋に「朝食ですよ」と声をかけ、リビングのテーブルを拭いて、テレビをつけたら、にぎやかな「アンパンマーチ」が流れてきた。静かな老人施設の朝には全然似合わない。
居室から出てきた老人達は、テレビの近くに座ってアンパンマンを見ている。見ているということは、内容がわかる、楽しいということだろう。わからないと、だいたいすぐに目をそらすから。
単純でわかりやすいこと、正義と悪、勝ち負けが明確なこと、前後のストーリイが理解できなくてもわかること、短時間(一瞬)で完結すること、それらが鍵になる。「今」「この瞬間」しか記憶できないという認知症の脳の特性を考えて選ぶことだろう。
(2012年6月)