これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

FC2ブログに引っ越しました。週一回か二回は更新しています。

これが認知症なんだ (131) 認知症かな?

<That's Ninchi Show  No.131 >
 
何でも疑う、情報は多方面から取り、鵜呑みにしないこと。
 
認知症はわからない。医者だってわかっていないようだ。特に専門領域から離れると、医者はまったく頼りにならない。
 
総合医を育てると言っているが、長年、専門医教育ばかりしてきて、今さら「臓器を診ないで、全体を診る」、そんな教育のできる人が残っているかどうか。
 
認知症かな?」と思ったとき、家族はどうしても「いいほうに」考えたがる。認知症でないほうに。認知症だと思いたくない気持ちから。
 
心療内科は精神科より行きやすい、駅前にはたいてい一つは診療所がある。そこに連れて行って、「うつ病」と言われ、やっぱり認知症ではなかったと喜んだりする。
 
認知症は治療で完治するものではない。原因も治療法もまだ確立した何かがあるわけではなく、専門医と言われる医師だって、初期の認知症は診断が困難だ。
 
かりに駅前心療内科の医師が専門医ほどの認知症の知識があったとしても、認知症を見落とすこともある。「これ」という数値的な指標がまだ確立されていないから、誰でも同じ診断ができるとは言えない。
 
認知症かな?」と思ったときは、認知症だと仮定して、対策を考えたほうがいい。異常行動が出始めて、あわてることがないように。
 
脳の萎縮、そのレベルを知ることも大事だ。脳梗塞など、脳の血流不全は、認知症につながるから、脳の検査は早めに、また定期的に行うのがいい。
 
ただ、同じ一枚の脳の画像を見ても、医師によって見解が違うことがある。うちのおばあちゃんの時がそうだ。一人は「海馬が小さくなっている、典型的な認知症」と言い、一人は「加齢によるもの、認知症かどうか断言できない」と言う。
 
初期の場合は診断が難しい。一人の医師の診断を鵜呑みにしないことだ。
 
「予兆」はある。近所迷惑な異常行動が出る前に、これはおかしいと思うことが。それを「年のせいだろう」と軽く見過ごすと、大変な思いをすることになる。
 
「この言葉(行動)はおばあちゃんらしくない」と思ったら、認知症を疑うほうがいい。長年の「こだわり」がなくなっていたら、特に。
 
「この人は絶対」というこだわりが何かはある。その人なりのこだわりがそれぞれ。
 
おじいちゃんの命日には、毎年家族でお寺に参る。その何ヶ月も前から、家族にうるさく念を押す。この日は予定を入れないようにと。そんな人が、命日のことをまったく言わなくなり、当日になっても気がつかない。それはおかしい。これが認知症だ。
 
認知症かな?」と思ったとき、見過ごさずに行動する。家族が適切に行動すれば本人のためにもいい。本人の脳の世界と、家族の世界とは別だと認識して対応する。
 
そうすれば「家族が皆、ウソばかり言う」というような、悲しい思いをさせないですむし、疲れるだけの無駄な争いもなくなる。