これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

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これが認知症なんだ (72) 介護力

<That's Ninchi Show  No.72 >
 
「介護が楽しい」という記事を新聞で見たことがある。
 
介護士の養成コースの広告でも、「楽しい」と書いてあった。修了して現場にいる人の声として、楽しいし、やりがいがあると。
 
それは仕事だから。他人だから。勤務時間だけだから。一緒にがんばる仲間がいるから。二十四時間、365日、一人で責任を負わされる家族とは全然立場が違う。
 
作家とか俳優とか、有名人もいろんな所で「介護はつらくない、かえって楽しみを見つけることができた」というようなことを述べている。それはない、信じられない。
 
一般大衆はそんな余裕はない。費用をかければ介護は容易になる。著名人は当然、経済的に恵まれているから、介護保険外の費用を気にせず、必要なだけ外部の介護サービスを使える。
 
また、もともと普通より能力が高いから成功して有名になっている。だから「楽しむ」という余裕が出てくる。経済的にも能力的にも余裕があるからこそだ。
 
例をあげると、学校が楽しい優等生と、学校が嫌いな劣等生、これと同じだ。能力が高ければ、何時間もの学習を「楽しく」かつラクにこなせる。
 
計算問題をやらされて、授業時間中にできなかった子は、それが宿題になる。が、優等生は時間中に終わるから宿題はない。放課後は楽しく遊ぶことができる。
 
処理能力の高い人を基準に、世間は判断しないでもらいたい。古いパソコンと同じで処理能力が低く、容量も小さい場合、何をするにも時間がかかる。その上、介護の負担は年々重くなる。認知症は治るということはないからだ。
 
介護する家族は個人個人、事情が違うし、介護される老人のほうも同じように、認知症といっても個人個人、症状が違う。介護しやすい人もいれば、とうてい家族だけでは無理という人もいる。
 
しかし、世間の目を気にして家族だけでかかえこむことが今もあるようだ。また、他人だと気をつかう、他人の世話になりたくないという老人も多い
 
全部を家族でというのではなく、一部は介護のプロの手を借りて、家族の負担を減らしていくほうがいい。介護だって、「できる人」がいれば「できない人」だっている。
 
自分の能力や環境条件に合わせて、できる範囲の中で最善を尽くす。それだけでいいと思う。自分の介護力の限界を知り、無理をしないことだろう。