これが認知症なんだ (16) 妄想 その4
<That's Ninchi Show No.16 >
ゴミを捨てられない。が、なぜか大事なものに限って捨ててしまう。
認知症だと、これがゴミかゴミでないかという判別能力もなくなるのだろうか。それとも記憶が曖昧で、捨てたつもりになっているか、ゴミに見えていないかだ。
発病前はとてもきれい好きで、毎日のようにゴミを捨てていた。週二回しかないからわざわざ収集日の違う地域まで出しに行くほど、家の中にゴミがあるのが嫌だった。
それがいつのまにか、そこらじゅうにゴミ袋の山ができている。
ゴミ収集の日を忘れていて出せなかったのか、ゴミ収集ステーションにまで行けなかったのか。行くのが面倒なのか。わずかな距離の移動も自信がなかったのか。
それでもそのくらいの時はまだましだった。分別ができず、ペットボトルや空き缶を燃えるゴミの袋に混ぜてしまうという問題はあったが。
そのうち、床にティッシュのゴミがいくつも落ちているようになった。ゴミをゴミ箱に入れることもできない。捨てる気がない。手も足も動くのに、頭が動いていない。
四月初めだったか、おばあちゃんが電話してきて、「去年あげた入学祝いはいくらだった?」と。去年の春に入学祝いを三万円もらったけど、それがどうしたのだろう。
何で今頃それを確認するんだろうと、気になった。そんなことを今まで聞かれたことはない。普通なら聞かないだろう。
家族に相談すると、妹の所へのお祝い金をいくらにするか、その参考までに聞いてきたんだろうから、気にすることはないという結論に至った。
しかし、よく考えると、そんなことはあり得ない。おばあちゃんは細かく家計簿をつけていて、誰にいくら、誰からいくら、の記録は数十年分も残っている。
見ればわかるから他人に聞くまでもない。これにはわが家の歴史が詰まっていると、家計簿をとても大事にしていて、いつも傍に置いてあった。
あとでわかったことだが、信じられないことに、おばあちゃんは家計簿を捨ててしまっていたのだ。それも、向いのご主人に頼んで捨ててもらったらしい。
自分で捨てるならともかく。他人に家計簿を捨ててもらうなど、普通ではない。
理由は、嫁に見られて生活費の仕送りを減額されたら困るからだという。毎月、お金がそこそこ余っているのが、家計簿を見るとわかるから、処分せねばならないと。
ヘルパーさんが、ゴミ箱から財布やハンドバッグを拾ってくれたことも何回もある。
おじいちゃん(故人)の写真を破いて、なぜか玄関ドアの外に捨ててあったことも。
まだたくさん残ってるはずの薬が足らないなと、さがすとゴミ箱にどっさりということも。本人に聞いても覚えていないから、反省もなく、同じことを繰り返す。
銀行から出してきて、おばあちゃんの財布に入れておいた一万円札が消えている。買い物はできないし、誰が来てもドアを開けないから集金もあり得ない。捨てた?
千円札と小銭は残っている。それからは財布は千円札を数枚入れるだけにした。
認知症の頭の中はどうなってるのだろう。考えるだけムダで、普通ではないのだから、普通の人間がいくら考えても理解したり共感したりできるわけがない。
思いもよらないことばかり。これが認知症なんだとあきらめるしかない。