これが認知症なんだ (13) 家族の誕生日
<That's Ninchi Show No.13 >
家族の誕生日だって忘れている。認知症の発症から後はずっとそうだ。
自分の誕生日をまちがえるくらいだから、家族の誕生日は言うまでもない。認知症が出てからは、誰もおばあちゃんから「誕生日おめでとう」と言われたことはない。
おばあちゃんは少しおかしい、普通ではないと思い始めたのも、実は誕生日がきっかけだった。2008年、発病が誰の目にも明らかになったこの年の、家族みんなの誕生日のことだ。
おばあちゃんは家族みんなの誕生日をしっかり覚えていて、いつも何も見ずに言えるくらいだった。息子夫婦、娘夫婦、孫達、そればかりか甥や姪まで。
誕生日の一ヶ月も前からプレゼントを用意し、当日には必ず「おめでとう」の電話をかけてくる、それが何十年もの習慣だった。
2008年はそれが一回もなかった。全員、無視された。その前の年が最後だった。
二月の孫の誕生日、ふだんなら学校から帰るころをみはからって「おめでとう」の電話がかかってくるのだが、夕飯が終わっても夜になっても電話はない。
あり得ないことなので、体調でも悪いのかと心配になり、こちらから電話した。すると、いつもとかわらず元気だったが、誕生日のことは全然口にしない。
指摘すると、「うっかりしてた」と言うから、年のせいで忘れることもあるのだろうと思った。何か変だという違和感もあったが。
おばあちゃんはとても準備のいい人で、仕事も細かくきっちりとしていた。「忘れないように」と大事なことはメモにして、いつも食事テーブルに貼ってあった。
翌日の予定、買い物の内容までメモに書いて、貼り付けてから寝る。次の日はそのメモを見ながら一つ一つ用事をこなしていく。だから、誕生日を忘れるはずはない。
このひとは、これだけは、というこだわり、誰にでも何かそういうものはある。それが消えていたとき、認知症を疑ったほうがいい。
あり得ない、おかしいと思ったら、見逃してはいけない。
こだわって続けてきたことは、どこまでも続けようとするものだから。年のせいでやめるにしても、突然プツンと終わらせたりはしない。
認知症の予兆と言えるかもしれない。