生きていても仏壇に話すのと同じになって。。
また台風が来るというので施設に面会に行った。
秋晴れという言葉があるのに、今年は天気のいい日が少ない。
うちの親の老人ホームは電車で約一時間の距離にある。
近くなら少々雨が降ってもいいのだが、近くの施設はどこもどこも「胃ろう枠の空きがなく」入居できなかったので。
「面会に行く」というが、実質は面会にはなっていない。
前回はちょうどお風呂から帰ってきたところで、いい心地なのか本人は眠ってしまっていて、面会も何も、挨拶もせずだった。
今日は入浴日ではないので、話ができるかと思ったら「だんまり」で、眠ってはなさそうなのだが目も開けない。
施設スタッフにたずねると、いつもこんな感じだそうだ。
ごくごく稀に何か「単語」をしゃべることがあるが、何を言っているのか発音不明瞭で聞き取れないらしい。
家族が会いに行く意味があるのだろうか、そんなことを時に思う。
もしかしたら家族だという認識もないだろうし、近くで話しかけても全く反応がない様子からすると、
「家族が会いに来てくれてうれしい」とも思ってなさそうだ。
反応もなく、目も開けない人に向って話をするのは「仏壇に向って話す」のと同じようにも思う。
胃ろうになって4年、これが終末期の姿なのだろう。
こんな状態で長生きするとは本人は思っていなかっただろうし、
家族も誰一人として想像もしなかったと思う。
十二年前に最初の脳梗塞発作が起きた時は「次の発作までの命かもしれない」「いつどうなるかわからない」という状況だった。
長生きできる人はできるようだ。
<That's Ninchi Show 2 No.1325>