胃ろうの選択、合理的な判断ができれば。。
胃ろうでよかったのだろうか。
うちの親(86歳、胃ろうで寝たきり)は数年前の脳梗塞発作が原因で経口摂取が困難となり、とうとう胃ろうになった。
胃ろうを付けるかどうか、家族で何度も話し合ったが医師の「付けなければ半年」という言葉がとても重かったと記憶している。
家族の中には以前は「80歳を越えて回復の見込みのない老人に胃ろうは不要」という意見を持つ人が何人もいたのだが、
それは他人事の時、つまり一般例の時だけに言える正論で、
いざ自分の親となるとそう簡単にはいかないようだ。
「オレの親だったら胃ろうなんか付けない。さっさと逝ってもらう」と断言していた人が「やはり胃ろうしかないな」となった。
胃ろうで寝たきりとなるとどうなのだろう。まるで人間らしさがなくなって、ただ生きているだけになるのだろうか。
当時はそういう心配があった。
だが、実際はそうでもなかった。胃ろうになって一年か二年ぐらいは施設に面会に行くと簡単な会話ができた。
親戚もたまには面会に来てくれていたので、この選択も悪くはなかったと思うこともあった。
しかし、三年目から後は面会に行っても眠ってばかりで、目をさましても言葉は少なく、ほとんど話をすることがなくなり、
「行っても話もできないから」と親戚が訪れることもなくなった。
ここに至ると「ほんとうに胃ろうでよかったのだろうか」と思う。
正しいというか適切な選択だったのだろうかと。
人間は情報収集能力に限界があり、判断の素となる情報量が不足したり偏ったりするために正しい判断ができない場合がある。
また、遠い将来の大きな利益よりも目先の小さい利益を優先しがちで、合理的な選択ができないこともある。
そこで、人間よりもはるかに情報収集能力が高く、適切で合理的な判断が可能なAI(人工知能)に選択してもらうようになるらしい。
AIが医師に代わって難しい病気の治療法を選択したり、学生に代わって適した就職先を選択することができるらしい。
うちの親のようなケースでAIならどういう判断を下したのだろう。
もしAIが決めてくれたのなら結果がこのようであっても「AIのせいだから」となって心は軽いのだろうか。
そうでなく「AIの言いなりになってバカだった」と後悔するかもしれないし、どっちもどっちということだろうか。
<That's Ninchi Show 2 No.1254>