認知症発症して十回めの正月。。
認知症を発症してから十回めの正月が来た。
うちの親(86歳、胃ろうで寝たきり)は2007年に発症したようだが、家族が気が付いたのは2008年。
今から思えば2008年の正月が最後だった。本人が「今日はお正月だ」と意識していた最後の年だ。
その時は例年と同じ様子で、孫たちにお年玉を渡し、みんなで食事し、夕方には玄関まで見送って、
「今度いつ来る? じゃあ、気をつけて」と、全く普通だった。
ただ一つ気になったのは口数が少ないこと。みんなの会話に加わらず黙って聞いているだけだったことだ。
元来おしゃべりな人で、来客があればドアを開けて迎えた時から見送る時まで絶え間なくしゃべりまくっているのが普通だった。
「体調が悪いのかな」としか思わなかった。この些細な違和感を無視せずに、この時点で気づくべきだったと後悔している。
2009年の正月からは本人に「今日は元日だよ」と教えないとわかってもらえなくなった。
わざわざ正月に会いに行く意味など全くない。
そして今年、お正月だからと施設に面会に行っても一言も話しをせずに帰るという所にまで来てしまった。
とうとう来たかという感じだ。
「おめでとう」を言おうにも、本人は目も開けてくれない。
眠っているようではないのだが。
耳元でしつこく話しかけると薄目を開ける程度で、目を合わせるとすぐ閉じてしまう。全く興味のない様子だった。
介護スタッフにたずねると、近頃はほとんどこんな状態でしゃべらないらしい。
ただし言葉が減り、しゃべらなくなったと言っても「言葉を忘れた」とか「発音できない」とかではないそうだ。
昼間は眠ったような状態でも、たまに夜間にしゃべり出すという。
先日は夜になって「今日は昼にお風呂に入ったので、夜はお風呂に入らなくていいよ」とスタッフに告げたそうだ。
施設の入浴時間は昼間で、夜に入浴することはない。
本人の頭の中の時間はいつなのだろう。
発症前で自宅にいた頃でさえ、最後の数年間は昼間の入浴だった。
訪問介護のヘルパーさんが来ている時に入浴していた。一人暮らしだったので浴室で倒れるのが心配で。
発症して十年、まだ「何もかもわからない状態」ではないが、そこに近づいているような気がする。
「これからどうなるのか」という「将来不安」が今もある。
発症してからずっと連続、十年たっても不安なのは同じだ。
不安を解消する方法もない。誰に聞いてもわからないから。
今年もまた「正月だからといって会いに行っても無意味だった」と思いながら施設をあとにした。
<That's Ninchi Show 2 No.1223>