胃ろうになって三回目の誕生日は。。。
85歳の誕生日、今年も小さな花束を贈った。
うちのおばあちゃんが胃ろうになって三回目の誕生日、花屋でピンクのバラとカーネーションの花束を買って施設に会いに行った。
去年の春から(特養ではなく)一般の老人ホームに入居している。
ケーキ屋さんの前を通ると、ケーキを持って面会に行っていた、
「誕生日にはケーキ」があたり前だった頃を思い出す。
あたり前のことの価値(=重さ、かけがえのなさ)がわかるのは、それを失ってからだというが、その通りだと思う。
認知症になって多くのことを失ってきたが、「誕生日を家族に祝ってもらう喜び」もその一つだ。本人には誕生日という認識がないから。
「お誕生日おめでとう」と言って花束を渡したが、今年も予想通り本人は何の反応もなかった。お花にも興味はなさそうだ。
施設のスタッフの人達も「おめでとうございます」と言って、拍手までしてくれたが、反応は全くない。知らん顔だ。
スタッフの一人が本人の耳元で再び「おめでとうございます」と大きな声で言ってくれてやっと、「ありがとう」と返事があった。
スタッフは「わかったみたいですよ」と言ってくれたけど、どうだか。
わかったかもしれない。この日はいつになくよくしゃべっていたことから、脳の神経回路が一時的につながっていたようにも思う。
といっても、(口の周りのマヒがあるので)発音が不明瞭で聞き取れないことが多く、会話らしい会話にはならなかったが。
聞き取れた言葉が「少しやせた。もういつ死んでもいいから」なので、あまりにも意外だったからどう答えていいか困った。
あとで体重測定記録を見ると49.3kgだったのが49.7kgになり、「少し太っている」のだが、本人の頭の中では別のようだ。
どんどんやせていって、老衰が進んでいるとでも思ったのか。
答えに困った時の決まり文句「だいじょうぶ」と、「つくり笑顔」でその場をしのいだ。「長生きしてください」を添えて。
安心したのかどうか、本人は眠ってしまった。
言いたいことだけを言って、しゃべり疲れたら眠る。部屋に誰がいようが関係なく。帰るのを見届けるまで待つこともなく。
いつものことだが、誕生日にわざわざ会いに行く必要もなかった。
自己満足、それだけだ。
<That's Ninchi Show 2 No.1063 >