認知症でも、カレンダーは。。。。。
カレンダーが消えて七年のはずだった。
うちのおばあちゃん(84歳、胃ろうで寝たきり)が認知症を発症してから七年になる。それはつまり時間の感覚が消えてから七年ということだ。
認知症は、時間・空間・ひと(人間)の順番で記憶障害が起こると言われている。思い起こせば、現実、結果としてその通りになった。
発病一年以内に本人の頭の中からカレンダーは消えた。時計も何のために部屋にあるのか、単なるインテリア(室内装飾品)に過ぎなくなった。
その後、場所を把握する能力が消えた。入院しても、そこが病院だとは思わず、自室(サ高住の)だと思っているような発言があったから。
というわけで、本人にはもう何年も「今が何月何日という感覚」はない。
毎年、お正月前に家族が新しいカレンダーを持っていったものだが、それもやめた。あっても意味がないから。この六年ほどずっとそうだ。
昨日、久しぶりに介護施設に面会に行ったのだが、意外なことがあった。上の記述(頭の中からカレンダーが消えた)を訂正せねばならない。
いつもしゃべらないのだが、この日は珍しく会話ができた。お正月だから親戚の○○ちゃんが面会に来たかもしれないと思い、それを聞いてみた。
聞いても答えがないことが多いので、期待はせずに。「○○ちゃん」という名前も思い出せないかもしれない。かわいがっていた孫でも。
もし思い出せたとしても「聞いたことがあるけど、誰だったっけ」、だろう。
「名前から連想して個人を特定する」という機能は何年か前に消えた。家族の誰一人として名前を呼ばれることはない。
すると意外にも返事があった。「カレンダーは?持ってきた?」
「○○ちゃん」という言葉には反応がなかったのに、「お正月」には反応したわけだ。お正月には新しいカレンダー、その何年も前の記憶が。
おばあちゃんの頭の中には、「カレンダー」という言葉は存在する。
頭の中のカレンダーは消えていても、言葉としてだけは残っている。何のためにあり、どう使うものか、そういう定義は思い出せないとしても。
これと同じことが以前にもあった。一年数ヶ月前、脳梗塞の再発で入院した時だ。「時計がないから持ってきて」と言われて驚いたものだ。
時間を確認することなど何年もない。入院の荷物に時計が必要だとは思わなかった。病院の近くで小さな置時計を買ったら安心していたようだ。
使ってなくても、「部屋には時計があるものだ」という記憶は残っていて、ふとした時に思い出すのだろう。
脳は不思議だ。ほんとうに認知症はわからない。