認知症の老人介護は、家族にとっては。。。。。
親を介護施設に入所させるのは「姥捨て」ではない。
日本では自宅での在宅介護の割合が高いので、施設に行くのが特殊例だと思われがちだ。周りを見渡してどこの家も自宅介護だったら、そうなる。
自宅で家族に世話してもらえないのは「かわいそうな」老人だと思う人も何割かはいる。施設入所は「姥捨て」とまで言う人もいる。
何日か前に新聞で読んだのだが、息子(56歳)が認知症の父(81歳)を車で遠くの量販店に連れて行って置き去りにした、という事件があった。
動機は介護が嫌になったからだそうだ。これこそが「姥捨て」だ。
殺さないだけマシだし、山林や海岸など危険な所に置き去りにするよりもマシだ。店なら店員もいるし、買い物客だっているから心配はない。
介護できないなら施設入所がある。施設を探して入所させる努力をしたのだろうか。探しても(施設入所は)経済的に不可能だったのだろうか。
その十万円も出せない老人は、生活保護を申請して全額免除で施設に入所することになる。身元不明の徘徊老人の例のように。
この事件の息子はそれをねらっていたのかもしれない。老父を身元不明の徘徊老人にしようとした。保護されたら税金で養ってもらえるから。
残念なことに、老父は自分の名前が言えたので身元不明者にはなれなかった。それを息子が知らないはずがないから、この推理は成り立たない。
単なる「できごころ」、突発的に介護から逃げたくなっただけだろう。
年取った親と一緒にいるのはうんざりだと、さっさと別居していたらよかったのだろうか。一人暮らしの老人には「お役所の援助」があるものだ。
老人福祉では、一人暮らしの老人や老夫婦世帯だけを対象(弱者)とみなしている。家族がいれば安心で、社会的支援は不必要だとされる。
普通の老人の場合は家族がいれば安心していられるだろう。が、認知症の老人は家族が一人や二人いるだけでは難しい。支えられない。
支えられなくなったら、施設に頼る。施設入所は決して「姥捨て」ではない。
「お役所の援助」もなく、「地域の支援」は言葉だけで、多くのことを犠牲にして孤独な介護を続けている家族のことを考えてみてほしい。