寝たきりでも靴一足は。。。。。
人生を終えるということは、身一つに戻ることだ。
老人マンションから老人ホームへ移ることになり、収納スペースがないので多くの物を処分しなくてはならない。25㎡ から 15㎡ になるから。
ミニキッチンは使ってなかったが、上部とシンク下収納は役に立っていた。胃ろうの栄養液ストックや消毒剤、シャンプーなどの消耗品の収納に。
クローゼットも外出着や布団でいっぱいだが、転居先にはそういう作りつけ収納は一切ない。荷物を25分の15、つまり5分の3にする必要がある。
4割も減らすとなると簡単ではない。絶対必要な物以外をどうするか、悩むところだ。「捨てるかどうか保留」の箱を作ってあとで考えることにした。
オムツ、尿とりパッドのストック、胃ろうや口腔ケアの消耗品のストック、それらは引越し当日まで使う分を残して梱包する。何カートンにもなった。
胃ろう用品は転居日の朝も使うので梱包することができない。当日は介護タクシーを予約してあるから、そこに寝具と一緒に積むことになる。
介護タクシーは車椅子ではなく、ストレッチャーにした。寝たきりになって半年、もう車椅子に30分以上座ることはできない。
当日着る服と靴を残して、梱包と廃棄が終わった。たぶん靴は履かないのだが。いくつもあった靴もたった一足になり、何とも言えない気持ちだ。
「保留」の箱を処分する。化粧道具に手鏡が一つ、どうしようかと悩む。老人も化粧をすると気分がよくなるらしいから口紅ぐらいは残そうかとも。
手鏡は思い切って捨てた。脳梗塞の再発で左半身マヒとなり、顔がかわってしまったから、そんな自分の顔を本人が見たらどう思うだろう。
曲がってしまった口は、まるで福笑いか、幼児の描いたできそこないの絵のようだ。顔の左半分の筋肉がマヒしてうまく動かないとそうなる。
本人はわかっていないだろう。脳梗塞で左手や左足が動かなくなったことも含めて。知らないのは幸せなことなのだろうか。
歩くことも、立ち上がることもできず、しばらく座っていることすら困難になってきた。人生はいくつもの物を得て、それを積み上げてきたはずだったが。
人生の終盤はそれを一つ一つ失っていくものらしい。たった一足になった靴を見てそう思った。その靴すら使われることはもうない。