寝たきりの親を見て思うこと。。。。。
要介護5、寝たきりになって四ヶ月が過ぎた。
今までの六年間も、おばあちゃんは「ほとんど寝たきり」だったが、全く立ち上がることがないのとは違う。食事とトイレの時はベッドを離れていたわけだから。
老人マンションには豪華なレストランが付いているけど、今となっては無意味だ。自室のトイレも、今は使われない。紙オシメの収納庫になってしまっている。
それでも「自分がどこにいるのか、目の前にいる人は誰なのか、何もかもわからない」という状態にはなっていない。そうなったら老人ホームに移す予定だったが。
今週は発熱もなく元気だったせいか、よくしゃべった。近づいて見ると顔色も良く、この状態でこの冬が越せたらいいと思う。厳冬になりそうなのでどうなるか。
今年はやたらと欠礼ハガキが多く届いている。(もらってうれしくないものの一つだ。こんな習慣なければいい。) 夏の暑さが記録的だったからだろう。
自分の親が高齢なら、年賀状をくれる知人の親も高齢だ。行年は九十歳以上が普通で、みんな長生きする時代のようだが、ずっと寝たきりだったかもしれない。
「長生きさせる」ことよりも、「寝たきりにしない」ことを老人医療はめざすべきだ。
一日じゅうベッドで、首と片手しか動かないから寝返りもできずにいる。そんな風になって「長生きしてよかった」と思えるのだろうか。認知症だから何も言わないが。
人生の最後の日まで自分の足で歩きたい、そう願ってはいけないのだろうか。
おばあちゃんは先月の誕生日で八十三歳になった。が、本人に聞くと「七十ニ歳」と言う。認知症の頭では時間が止まっているのか、数がわからないのか。
よくしゃべるので少し記憶が戻ったのかと思ったが、がっかりだ。