認知症は知らないことばかりで。。。
「食べ方がわからない」では生きていけない。
「歩き方がわからなくなった」でも驚いたが、「食べ方がわからない」というところまでは想像がつかなかった。現実になるまでは、そんなことあり得ないと思っていた。
ひとの悪口を言ったり、自分は不幸だったとグチを言ったりしている老人が「自力で食事がとれない」ということが想像できるだろうか。両手は不自由なく動くのに。
点滴を抜いたり、ナースコールのボタンを一日に十数回も押しまくったりする老人が、食事のスプーンを持たせても食べようとしないなどと考えられるだろうか。
手は動くし、筋力もある。それでも食べようとしない。食べ方がわからない、食べるという手順がわからない。脳が壊れているというのはそれだ。
何とかスプーンですくって口まで運び、こぼしながらでも口に入れるが、「むしゃむしゃ」できても、「ごっくん」を忘れて、かたまってしまう。フリーズ。動作停止。
介助者が「ごっくんしてください」と指図しない限り、食事ができない。食べさせてもらっていても、「ごっくん」の手順を思い出せないとしたら、食事にならない。
嚥下能力はある。専門医に嚥下テストをしてもらった結果、何の問題もないと証明されていて、「ごっくん」できない理由はない。
老人はだんだんできないことが増えていって赤ちゃんに戻ると一般には言うが、赤ちゃんは言葉もしゃべれず立つこともできないうちから「かみかみ」「ごっくん」できる。
乳首をかんで、ミルクを飲み込んでいる。誰も教えていないのに。咀嚼と嚥下、そういう生存にかかわることは脳の発達以前に備わっている機能なのだろう。
だから認知症で脳がどれだけ破壊されても、言葉が出てこなくなっても、食べ方(かむ、のみこむ)は覚えていると思っていた。箸など使えず手づかみであっても。
これまでも「こんな基本的なことがわからない」と驚くことが何回もあったし、想定外のことばかり起こり、どれだけ認知症のことを知らないか再認識させられた。
身体能力から言えば「できないはずがない」ことが、脳力から言うとできない。
おばあちゃんは要介護1のころ、足には何の障害もなく筋力もあるのに、「歩き方」がわからないで転倒していた。右足を出したら左足、という手順がわからないで。
要介護2でトイレ自立、自分でトイレに行っていて「お尻がふけない」というのも意外だった。八十年近くお尻をふいてきただろうに、それを忘れるとは。
そして今また。咀嚼も嚥下も問題なくできて、手の筋力も残っているのに、食事の自立が難しくなっている。このままでいくと、「胃ろう」になってしまうだろう。
嚥下機能の低下だけでなく、認知症が進んで「食べる」という動作を忘れてしまった場合でも「胃ろう」にするしかなくなる。もしくは餓死。
脳が壊れるということは、残存機能があってもなくても結果は同じだ。嚥下トレーニングで機能を強化し、最期まで自力で経口摂取できることを望んでいたのだが。