認知症でしゃべらなくても、痛いものは痛い
何も言わない、言えない。それでも不満はあるはずだ。
おばあちゃんが「おとなしい」段階になり、いよいよ認知症末期に突入のようだ。激しかった介護拒否がなくなり、何もかも「されるがまま」で何の文句も出ない。
発病前から文句の多い人だったのに、ほんとうに不満がなくて黙っているのだろうか。言いたいことがあっても言えないのかもしれない。
こういう場合、周囲の人が本人の立場で考えて(想像して)、何か不都合がないか、不具合がないかを察してあげることが必要なのだろう。
文句を言わないから、そのままほっておいていい。そんなものではないと思う。
寝たきりで何もしゃべらなくなったら、「手のかからない」おばあちゃんだと介護スタッフの人々には言われるようになる。もう一人のおばあちゃんがそうだったように。
寝たきりで、寝返りもできないとなると身体のあちこちが痛くなる。ニ、三十分も同じ姿勢のままでいると、体圧がかかっている部分は痛いだけでなく血流まで悪化する。
これについて病院や施設の担当者はこう言っていた。「オムツ交換の時には必ず体位変換してますから」と。褥創(床ずれ)予防のためにエアーマットも使っていると。
オムツ交換は二時間や三時間おきだ。そんなに長い時間ほっておかれる。
ナースコールも押せなくなり、ものも言わなくなった人は「ただ寝かされていて」、時々見に来てもらえるだけだろう。「痛い痛い」と騒いでいる人と違って。
「痛い」と言えない人も痛い。認知症でも痛いものは痛い。想像してみてほしい。