これも認知症なんだ<That's Ninchi Show 2>

FC2ブログに引っ越しました。週一回か二回は更新しています。

これが認知症なんだ (207) あるがまま

<That's Ninchi Show  No.207 >
 
介護する側の心構えが重要だ。わかっていても実際できるかどうか。
 
施設に何日も通っていると思う。こんな人たちを何十人も前にして、よく明るく笑っていられるものだと。介護職の方々は皆そうだ。さすがだ。プロ意識というか、介護もサービス業の一つだからか、毎日笑顔できびきびと働いている。
 
認知症老人を前にすると、たった一人でも当惑する。どう対応したらいいか。何と言えば理解できるのか。何を言っても表情が同じで、変化が乏しいが、わかっているのか。何か言いたいことがあるのか。どこか苦しいのか。そういう全てがわからない。
 
困ってしまうと、笑顔どころではない。たぶん、困惑し、悩み、わからないのでいらだち、最後には「怒った顔」をしているか、あきらめて見離し、「冷たい顔」をしているか、または、がっかりして「悲しい顔」をしているかだろう。
 
一番多いのは「疲れた顔」かもしれない。介護が長くなると、疲れはとれない。
 
認知症が進み、どんなに脳の働きが衰えても、人の表情は読めるらしい。猿のように「ヒト」ももともと群れで暮らす動物だから、表情で「仲間か、敵か」を見分ける。最も基本的な能力だからだろうか。
 
だからこそ、認知症老人に対してはいつも「笑顔」で接しなければならない。認知症老人は常に不安感や孤独感を持っているから、そこに「こわい顔」や「悲しい顔」を見せると不安が増長され、妄想がひどくなることもある。
 
わかっているが、できない。それはなぜか。普通の人が認知症老人を前にして、この状態を見て、笑顔がつくれるか、それを考えたらわかる。驚くし、眉をひそめる。
家族なら、なおさらだ。「ありし日」の姿と比べ、変わり過ぎているから。
 
言葉は悪いが、キチガイばあさん、そのものだ。こんな姿は見たくない。見たくないという気持ちは顔に出る。もう、うんざりという顔、見たくないのに見ざるを得ないという「いやな顔」になる。それを隠して笑顔をつくるには、修行でもしないと。
 
認知症は治らない。よくなったり、悪くなったりを繰り返しながら、坂道を下るように脳の機能が衰えていく。毎日それまでできていたことの何かが失われていく。
 
昨日より悪くなったと失望すれば、それが顔に出る。昨日と比べることをやめない限り、笑顔はつくれない。「あるがまま」を、「今」だけを見ないといけない。
 
今ここにいて、よかったね、ということだけだ。「ありし日」も、「これからどうなるか」という不安も切り離してしまうと、今しか残らない。笑顔で見ていられるかもしれない。
                                   (2012年6月)